オセアニアで長い歴史を持つタトゥー。ポリネシアでタトゥーが始まったのは、2000年前にさかのぼります!タトゥーはキリスト教宣教師たちに禁じられ、消失しかけたにも関わらず、現在も、そしてかつてないほどにタヒチの島々で栄える芸術となっています。

どのポリネシア文化にも独自のタトゥーが存在し、さまざまなデザイン、ツール、技術があります。数世紀前はポリネシア人の起源を知る最も簡単な手段の1つが、その人のタトゥーを見ることでした。どの島にも特有のデザインがあり、現在でもその人の故郷である島や属している家族のことまで分かるタトゥーを刻んでいる人もいます。古代ポリネシア人は文字を持っていなかったため、タトゥーが身分証のような役割を果たしており、このタトゥーの持ち主が誰であり、どこから来たか、社会的地位、職業、家族の絆やその人の情熱までもが表現されていました。

島々で見られたポリネシアンタトゥー

タトゥーは、ニュージーランド、ハワイ、イースター島のポリネシアン・トライアングルに広まっていきました。しかし、その拠点となっているのは現在もマルケサス諸島にあり、複雑なデザインは多様でユニークです。古代のタトゥーアーティストは祭司と同等の地位にあり、社会からとても敬われていた存在でした。サメの歯で作ったクシを木槌で何度も叩いて、皮膚にタトゥーを刻んでいきます。

完成までに数カ月を要するうえに、非常に痛みを伴う行為でした。痛みに耐えられない男性はタトゥーを完成させることができず、世間から取り残されることもしばしばでした。傷口が悪化するリスクを抑えるための手段として、傷が治る間は海水浴をしていましたが、今は、絶対にオススメしません!複雑なタトゥーの傷が完全に治るまでには約1年かかっていたようです。

ポリネシアンタトゥーの重要性

タトゥーを入れる場所も大切で、そのタトゥーの重要性に関係していました。体は天と地と繋がっていると考えられており、上半身はスピリチュアルな世界、下半身は地球と関わりがあるとされました。背面のタトゥーは過去、前面は未来、体の左側は女性、右側は男性に関連していました。

古代ではタトゥーからその人の社会的地位が分かり、神のためのデザインもあれば、祭司やアリイ(王族)のためのデザインもありました。タトゥーの種類は、族長のhui ari’i(フイ・アリイ)のほか、戦の長と兵士のhui to’a(フイ・トア)、ダンサーのhui ra’atira(フイ・ラアティラ)、カヌーの漕手の‘īato’ai(イアトアイ)、その他同等の身分であるmanahune(マナフネ)がありました。

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